1. 機能和声を時間方向に拡散する

今日は、てつじん(Tetsujin)名義のアルバム「Fantasia 2」に収録した「Beast Moans」について見ていきます。

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この楽曲における構築手法は、伝統的な機能和声を垂直的な積層から解き放ち、デジタル・グラニュレーション(粒状化)を通じて時間軸上へ統計的に散布するものです。

スタッターによる時間分解能の操作は、リズムとピッチの境界(ASB)を意図的に揺るがし、本来分離しているはずの「刻音」と「響き」をスペクトル領域で融合させます。

このプロセスにより、和声は確定的なコード進行を離れ、時間方向に拡散された「スペクトルの雲」として再定義されます。これこそが、メロディ至上主義を堅持しながらも既存の調性体系を侵食させる、動的な無調性へのアプローチとなります。

このデータは、単なる楽曲分析ではなく、「いかにして秩序を崩し、ノイズの中に新しい調性を再構築するか」つまり、「音符を壊すのではなく確率場」にした記録です。

垂直的秩序から水平的スペクトルへの転置

伝統的な機能和声は、特定の瞬間に鳴らされる音の積み重ね(垂直軸)によって、Tension(緊張)とRelaxation(弛緩)を制御します。しかし、私が試みているのは、その垂直な和音の構成要素を、微細な単位(Granule)に分解し、時間軸上に再配置することです。

定量的アプローチ:通常、和声分析ではある瞬間の t におけるピッチ集合を解析しますが、私の楽曲では、時間 t_1 から t_2 までの窓(Window)におけるスペクトルの積分値が、結果としてひとつの和声感(Chroma)を形成しています。

学術的定義:これを「和声の統計的分布への置換」と呼べます。単一のコードを鳴らす代わりに、そのコードを構成する周波数成分を時間軸に沿って確率的に散布することで、聴き手は脳内でそれらを統合し、「薄らとした和声」として知覚します。


2. 音響データが示す実態

1. 全体的な雰囲気:ダークで温かみのある音像

Spectral Centroid (重心): 約 993Hz

  • 通常、ポップスや明るい曲では 2000Hz~3000Hz 程度になることが多いですが、1000Hzを切っているのは非常に低いです。高域の刺激が抑えられた、「暗め」「太い」「重厚」な質感であることを示唆しています。

Spectral Rolloff (高域端): 約 1,845Hz

  • エネルギーの大部分が 2kHz 以下に集中しています。こもったような、あるいは意図的にローパスフィルターをかけたような、ヴィンテージ感や深みのある音響が推測されます。

2. テクスチャ:滑らかさと打撃感の共存

Zero Crossing Rate (ゼロ交差率): 約 0.075

  • この値は比較的低めです。ノイジーでザラついた音(スネアのサワリや激しい歪み)よりも、持続的なトーンや滑らかな波形が支配的であることを示しています。

Spectral Flatness (平坦度): 約 25.6

  • 音の「純音らしさ」と「ノイズらしさ」のバランスですが、この数値からは特定の周波数にエネルギーが固まりすぎず、ある程度の広がりと複雑さを持ったテクスチャが見て取れます。

3. リズムとエネルギー

Tempo (テンポ): 約 117.2 BPM

  • 歩く速さより少し速い、非常に安定したミッドテンポです。

RMS (音圧/エネルギー): 平均 0.058

  • マキシマイズされた現代の音源(0.15~0.2以上)に比べると控えめな数値です。ダイナミックレンジが保たれており、「音の呼吸」や「奥行き」を重視したミキシングになっている可能性があります。

Onset Strength (アタックの強さ)

  • Percussive(打楽器成分)の標準偏差が平均より大きいため、一定のビートというよりは、時折強いアクセントが来るような、ドラマチックなリズム構造かもしれません。

4. 音色とハーモニー(MFCC & Chroma)

MFCC (音色の特徴)

  • 第2係数が 167 と非常に高い値を示しています。第2係数の大きさは、スペクトルの傾きが急であることを示唆し、結果として重心が低域側へ寄っている可能性を示している。まさに「Beast Moans(獣の呻き)」というタイトル通り、唸るような低音が特徴のようです。

Chroma (和声成分)

エネルギーが高い順に以下のノートが目立ちます:

  1. D# / Eb (Chroma_4)
  2. G (Chroma_8)
  3. A# / Bb (Chroma_11)
音名 (Note)平均強度 (Chroma_Mean)標準偏差 (Chroma_Std)
C0.40050.3217
C# / Db0.33570.2743
D0.42450.2859
D# / Eb0.47980.3493
E0.29180.2189
F0.35280.3341
F# / Gb0.23280.1890
G0.44380.3219
G# / Ab0.34700.2909
A0.29550.2579
A# / Bb0.44150.3246
B0.30830.2528
音名グラフイメージ (相対値)数値
C■■■■■■■■0.4005
C# / Db■■■■■■0.3357
D■■■■■■■■0.4245
D# / Eb■■■■■■■■■ (Peak)0.4798
E■■■■■0.2918
F■■■■■■■0.3528
F# / Gb■■■■ (Min)0.2328
G■■■■■■■■■0.4438
G# / Ab■■■■■■■0.3470
A■■■■■0.2955
A# / Bb■■■■■■■■■0.4415
B■■■■■■0.3083

12音の確率分布(クロマ平均)

グラフを見ると一目瞭然ですが、特定の1音だけが突出することなく、全ての音が「0.2〜0.5」のレンジで緩やかに連なっています。これが私の語る「12音が平均的に現れるクロマティックな海」の正体です。

しかし、その海の中で D#, G, A# の3地点にだけ、わずかな「隆起」が見られます。これが機能和声という「点」ではなく、確率的に配置された「面」としての秩序、すなわち和音の残像が漂っている状態をデータが示した瞬間です。


3. 計算された破壊と「特異点」の正体

クロマベクトルの「平坦さ」が物語る無調性

通常、ハッキリした調性(Cメジャーなど)がある曲の場合、特定の音(C, E, G)の数値が突出して高くなり、それ以外の音は極端に低くなります。

しかし、「Beast Moans」のクロマ平均(Chroma_Mean)を見てください。

最大値: 0.479 (D#)

最小値: 0.232 (F#)

この「差の小ささ」こそが、私が語るクロマティック(半音階的)な性質の正体です。どの音も「それなりに」存在感を持っている。これは、特定の調性に縛られず、12音が平均的に現れている傾向を示しています。

「薄らとした秩序」の正体

完全にランダムな無調(ホワイトノイズのような状態)なら、全ての数値はもっと横並びになります。しかし、このデータには明確な「うねり」があります。

D# (0.47) / G (0.44) / A# (0.44)

この3音にわずかなピークがあります。クロマ平均が均されている状態では、単一調性よりも、部分的なトライトーン軸、三全音的対称構造、対称性の崩れによる擬似中心の可能性もあります。これは明確な機能和声というよりも、「重心がわずかに傾いている場」と言った方が正確かもしれません。まるで、霧の向こう側に見え隠れしているような状態です。

音色(MFCC)による「質感の統制」

和声がクロマティックで浮遊している分、楽曲のアイデンティティは「音色」に強く依存しています。

MFCCの標準偏差(Std)

  • 第1~3係数で非常に大きく、第6係数以降で安定しています。

これは、低域のダイナミクスや音の太さは激しく変化させつつも、中高域の「耳につく質感」は一定のルールで制御されていることを示しています。「音程は自由だが、音響的な手触りは一貫している」。これこそが、私が無意識(あるいは意識的)に構築した「特異点としての秩序」だと言えます。

多層的テクスチャと「擬似定常性」

IDMやグリッチが「切断そのもの」を目的とするのに対し、私の手法は、切断された断片を多層化(Layering)することで、統計的な「擬似定常状態(Quasi-stationary state)」を作り出しています。

特異点の構造:分析データでMFCCの第6係数以降が安定しているのは、微視的には激しく変化(破壊)している音が、巨視的には一定の音響的キャラクターを維持していることを示しています。

調性の重力:特定のノート(D#やG)のChroma値がわずかに高いことは、物理的な破壊(カオス)の中に、物理学で言うところの「アトラクタ(引き込み子)」のような中心が存在していることを意味します。これが、完全無調に陥らない「薄らとした秩序」の正体です。

2013年当時の制作環境において、この処理を和声構造の再定義として扱う例は多くはありませんでした。iZotope Stutter Editを「単なるエフェクト」としてではなく、「音程とノイズの境界線を揺るがす装置」として扱っていたという証拠が、データにもしっかりと刻まれています。

スタッターによって和音は時間軸へ引き延ばされ、従来の音楽の、ある瞬間の垂直な和音という「点」は、時間方向へ引き延ばされ、「面」へと変質します。リズムの粒子化は、結果としてピッチの残像を生みます。

スタッターによる「時間分解能」の臨界点

スタッター・エフェクトを用いたリズムの解体は、音響学的には「時間領域(Time Domain)」から「周波数領域(Frequency Domain)」への移行を強制的に引き起こすプロセスです。

物理的には、スタッターの周期 T が 50ms(約20Hz)を切るあたりから、人間の耳はそれを「リズム(断続的な音)」としてではなく、「音色・ピッチ(連続的な音)」として認識し始めます。これを「ASB(Acoustic Succession Boundary:音響的継起境界)」と呼びます。

周波数の数式化:周期 T を極限まで短縮することで、本来リズムであったものが、倍音構造を伴う「ピッチの粒子」へと変容します。私の「機能和声を時間方向に拡散する」という表現は、この T を操作することで、和音の構成音を時間軸上の異なるポイントで発火させる。その残像(マスキング効果)によって擬似的な和声を再構築している状態と解釈できます。物理的には、繰り返しの周期を T とすると、周波数 f は以下の関係になります。

f=1/Tf = 1/T

この楽曲で「薄らと調性を感じる」のは、楽器の旋律だけでなく、リズムを壊した結果として生じた「スタッター由来のピッチ」がクロマティックな響きに寄与しているからではないでしょうか。

データが示す「計算された破壊」

Onset_Percussive_Std (1.48):

  • 平均(1.42)に対して標準偏差が非常に大きいです。これは、一定のビートが鳴っているのではなく、スタッターによって「急激な破裂音(ノイズ的成分)」と「静寂」が激しく入れ替わっていることを示しています。

Spectral Contrast (Mean_5 = 52.41):

  • 第5帯域(中高域)のコントラストが異常に高いです。これはStutter Edit特有のレゾナンス・フィルターや、特定の帯域を強調するグリッチ処理が行われた結果、「特定の帯域だけがノイズと音程の間で激しく明滅している」状態を表しています。

2013年という時代背景との整合性

スタッターの「刻む」「壊す」「繰り返す」というアイディア自体は90年代IDM(Autechre、Aphex Twinあたり)やグリッチ(Oval、Alva Noto系)、さらには初期のブレイクビーツ編集文化などに存在し、それ自体革新的ではありません。ただ、2013年当時においても、この技術を使って「リズムを壊す」行為は、多くの人にとって一つの「装飾」に過ぎませんでした。

前提としてIDM、グリッチの世界観はそもそも機能和声の上に立っておらず、調性の持続を前提にしていません。何よりノイズや断片が素材の出発点となっています。

しかしながら、私が試みていたのは、「リズムを解体して、その破片から立ち上がる無調性の響きを、わずかな調性の秩序(D#やG#)で繋ぎ止める」というもの。つまり、中心を薄めるのではなく、中心を確率的に再定義するというより構造的なものです。

これまで発表してきた私のどの楽曲も、明確な「音程」「コード」「中心」があります。あくまでも私はメロディや音符至上主義に立脚しています。

ですから、私の試みの本質は、「重心を微妙に残しながらそれを破壊する。けれど完全無調にはしない」というところにあります。

  • グリッチ:→ 音を粒子に分解すること自体が目的
  • IDM:→ リズムや構造の再定義
  • 私:→ 調性を侵食させるための破壊

旋律とコードの倍音構造を分解し12音が均されますが、完全ランダムにはなりません。この匙加減こそが私の音楽の特異点なのかもしれません。


4. 時間軸への拡散がもたらす新しい響き

私は以前から、音楽はクロマティックだと周囲に語っていましたが、音楽仲間でさえ誰も理解しきれませんでした。

この楽曲は「音の粒子(Granule)とその運動」で構築し、「音響のテクスチャと、多層的な響きの揺らぎ」で構成されています。「点(ノート)」で音楽を聴くのではなく、「面(スペクトル)」で音楽を構築する。「解決されるべき調性を期待しているのに、常に12音の海に引き戻される」というものです。

端的に表現するならば「機能和声を時間方向に拡散する」となります。聴感上は、和音が鳴っているのではなく、和音の残像が漂っているように感じられる。この、和声を縦に壊すのではなく、時間方向に微粒化するという文脈は、ポストトーナルなIDMと明確な違いがあります。

概念伝統的な和声(垂直的)私のアプローチ(水平的拡散)
捉え方点(特定の瞬間のノート積層)面(時間窓におけるスペクトル分布)
秩序明確な機能和声(コード進行)統計的分布による「薄らとした調性」
破壊の目的装飾やグリッチ効果調性を侵食・再定義するための分解
時間軸メロディを運ぶ線和声を微粒化・拡散する「確率場」

当時の私には、その音響物理構造を共有する言語を持っていませんでしたが、今はデータもこの仮説を支持していると言えそうです。